ジュリー&ジュリア@新宿武蔵野館

年末に観に行ったら、満席で入れなかった映画のリベンジ(?)鑑賞。
何かの映画で予告編を見て面白そうだと思い、帰りに行きつけの本屋で原作本を見つけて購入。それも中々に面白かったので、本編を見たいと思っていた。

水曜日はレディースデイで、70席余りの小さなスクリーンは9割の女性客と、片手で数えられるほどの男性客とで今回もいっぱいだった。上映館数が少ないので仕方がないのだが、平日の昼間でこれだけ人が入るのだから、もう少し大きいところに移してもいけるんじゃないだろうか。

私が読んだ「原作」は料理日記ブログを元にまとめられたもので、それはアメリカの伝説的料理本「フランス料理の達人」の500余りのレシピを一年間で全部つくるというプロジェクトだ。プロの料理人ではない、普通のOLであるところの著者・ジュリーが取り組む本格フランス料理。その料理本を50年前に書いた女性・ジュリアが映画ではもう一人の主人公であり、演じるのがメリル・ストリープだから一番始めにクレジットされる。
「原作」でもジュリアの経歴がとびとびに語られるけれど、映画ではその比重がもっと大きく、現代のニューヨークに暮らし、9.11の後処理の事業団体に勤務しつつ自分自身のありようを模索するアラサー女性と、外交官の夫の赴任先に同行し、世界中を旅しながらフランス料理の料理本の出版を目指すアラフォー女性とのそれぞれの対比と共通点がより立体的に描き出されていて面白い。
「原作」と「 」つきで書いているのはそのためで、映画ではジュリアの伝記も取り入れて、2冊の底本を元に映画化しているのだった。

ハートウォーミングなよく出来た脚本で、随所で女性客ならではの共感の笑いや嘆息が上がる。
ラストシーン、プロジェクトを完遂したジュリー夫妻は、スミソニアンに再現されたジュリアのキッチンを見学に行く。ジュリアの写真の前に、本の中のフランス料理に欠かせなかった1ポンドのバターの包みを置いて立ち去るジュリー。そして無人のキッチンがアップになる。博物館の平面的な照明にくまなく照らし出された小さなそのスペースの光線がふいに変わり、左手の窓からの陽光を一杯に受けた温かみのある場所に変化したかと思うと、右手の入口からジュリアが入って来て鍋の味見をする。手紙の束を持って入って来た夫のポールがダイニングテーブルについて、二人で楽しげに会話を交わし微笑みあうストップモーションで映画は終る。
その二つ前には、プロジェクトをやりとげたジュリーが最後のレシピで夫とともに友人たちをもてなすシーンがあって、その二つが相俟って食べる事、食べさせる事、人が集う事の親密さや満ち足りた空気は50年前も現在も同じなのだと感じさせられる。観終わって、なんとも温かい優しい気持ちになる映画だった。


ところで、ラストシーンのあと黒バックに白文字でエンドロールが上がってくるとすぐ、後ろの女性客がしゃべり始めた。声と内容からしていい年なんだろうが、今終ったばかりの映画とは関係のない話題で、非常識なヤツらだなと思う。我慢して画面を見ていたもののおしゃべりは一向に止む気配がなく、たまりかねて振り向いて注意しようかというところで、おばさんの隣の席の人が何か言ったらしい。すると、そのおばさんたちは「何よ、映画はもう終ってるのよ」と言い返したのだ。なんだこいつら、終ってれば館内で得手勝手にしゃべってもいいっていうのか、そもそもエンドロールだって映画のうちなんだぞ、と思う。さらに逆切れして文句を言い募ったので、結果、注意が逆効果でよけいに鬱陶しくなってしまった。レディースデイにはおばさんたちが茶の間のレンタルビデオ感覚で映画館に来る事が増えたように感じていたのが実証された気分だ。注意した人には申し訳ないが、関わり合いにならなくて助かったと思う。